負けるが勝ちのサバイバル
こんな学校があるのだがどうか
という話があった。
音楽の勉強で、高卒の資格が取れるのだという。
それを聞いて
半分は、
音楽の勉強であろうとも学校通いは無理だろう と思った。
私が今それなりに元気にやってられるのは、
学校をすっぱり辞めたのが直接の要因だと言ってもいい。
それにその学校の勉強は、私が望む音楽と方向性も少し違う。
だけど半分は、
今度はそういう縁なのだろうか と思った。
ここのところ、環境の変化や人との出会い
縁にうまいこと生かされてるなぁと思う。
次は、この学校に行きなさいという導きだろうか と。
そして、なにはともあれと説明会に行った。
結論から言うと、無理だった。
学校に関して真剣に考えてみたら、
それだけで二日間 何も意欲が分かずベッドで過ごした。
なんと分かりやすい。
これじゃ通ったところで潰れるのは目に見えている。
忘れよう。
さようなら。
「この度は縁が無かったものとして……」
そういうことも、ある。
真っ当に生きることは、それだけでサバイバルだ。
週5日や6日、毎朝9時から暗くなるまで。
普通にこなしている人には普通なのだろうが、
私にはよほどの理由が無ければ勝ち続けられそうにない。
その上、遊び?恋愛?
あなた達、すごいことしてるって気付いてる?
逃げてるだけって?甘えてるって?
分かってる
そんな自己嫌悪に溺れることはよくある。
だけど必死で目を反らして生きている。
向き合い続ければ死んでしまう。
この弱さは、私の所為じゃない。
そんなふうに創った神様の所為だ。
私がどんなに普通を望んで頑張っても、くれやしなかった。
神様の所為にするのは 恨む為じゃない。
受け入れる為だ。
しょうもないだろ、私。
そうやって生きてるんだよ。
ああ、また涙が出てきたよ。
でも、こんな私だから言えることもある。
学校なんて、死を選ぶくらいなら行かなくていいんだよ。
学校も行かず、甘ったれでしょうもない私でも
今日を笑って生きているよ。
学校も、甘えた相手への恩返しも、
後からでもどうにでもなる。
生きる道などごまんとある。
こんな私だから強く言える。
全部捨ててもいい。生きろ。
この後も笑えない保証なんて、どこにも無いんだよ。
永遠だと思っていた闇は明けたよ。
生きろ。