黒木ちひろ

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Diary

あの日のこと(1)

2年前。
活動をやめるかやめないか、という頃の話。



うつの泥沼に陥った私は、毎日のように泣いていた。
ライブの日だって、その前も後も。

きっかけがあっただろうか。分からない。
人に会うことがどんどん重荷になっていった。
家を出られない日が増えた。
ひとりきりでいると、頻繁に、どうしようもなく爆発した。

音楽活動の問題だけならライブを減らせばいい話かもしれないが、
このままではそもそも一人の人間としての生活さえ危うい。
しばらく経ったある日、
その日も私は手に負えない爆発の中で泣いて、
泣きながら、決断した。
病院に行くと。

中学のときにうつ病と診断されてから高校時代まで薬を飲み続けていたが、
17歳で音楽活動を始めてからは調子が悪くとも病院には行かず、
薬も飲んでいなかった。
病院に行くというのはつまり私にとって、
再び「病人に戻る」という決断だった。
不本意ではあるがもう、自力でどうにかできる状態ではなかった。


2軒の病院に行った。

1軒目では、あなたはうつ病じゃないでしょう、と言われた。

うつ病ならそんなにエネルギーはないだろうし、
治ったり悪くなったりそこまで頻繁に激しく繰り返すもんじゃない。
だから、双極性のほうだと思うな。
とにかくまずは、その辛いのが何とかなるように薬を出しましょうね。


2軒目の病院は、薬を飲み始めて2ヶ月程経った頃に友人の紹介で行った。
1軒目の先生を信頼していないわけではなかったが、
朝晩と“終わりなく”飲み続ける薬が嫌いだった。
こちらの病院は薬に頼らない治療方針という話だった。
少しは酷いうつ状態も落ち着いていたのだと思う。
だから少し、前向きな思いを持った。
昔からずっと「うつ」が最大の邪魔者で
これをなくすことが一番の望みだった。
その正体が明らかになったのなら、
治療のしようもあるのではないか?


診察室に入り私が最初に伝えたことは、
「薬を飲んで症状を抑えるのは分かりますが、
根本的に解決したいんです。」
だった。

医師は「まずは詳しく話を聞かせてください」と、
家族のことから学校のことから私の歴史を事細かに私に尋ね、
私は必死に記憶を辿りながら30分以上も話した。

それらを全て書き留め、彼が最終的に言ったことはこうだった。


あなたの言う根本的にとは、原因を特定して
それを完全に無くすという話だと思いますが、
結論から言ってそれは現在の医学では難しいです。
こちらの病院で治療するとしても、同じように薬を使いながら
浮き沈みの激しさをだんだん和らげていくというやり方になるでしょう。
心理療法やカウンセリングもありますが、
体質的なものが大きいため、効果は分かりません。
それでも薬が嫌で何かすると言うなら、
極端に言ってスピリチュアルとかの世界になってきますし……


つまり、
「科学的には完治させられない」
という答えだった。


時間の経った今なら分かる。
彼が言ったことはすべてその通りだ。
そりゃそうだ。

だけどそのときの私は、期待してしまっていたのだ。
何か劇的なものを、提示してくれると。

なのに、なんだ?
私は何をしにここへ来た?
語られる言葉に相槌を打ちながら、
もう一刻も早く部屋を出たいと思った。


「カウンセリング、ご紹介しますか?」


いらねぇよそんなもん
とは思っても言わず、丁重に断り、診察室を出た。
そして受付でお金を払い病院を出た
途端、私はボロボロと泣いた。


ああ、治せないんだ。


私の生活を、人生を邪魔する怪物と
決別することはできないんだ。
違う、そいつはずっと、私そのものだったんだ。


建物の陰にい続けるわけにもいかず歩き出したが涙が止まらなかった。
日はまだ高く、どこへ行っても日常を送る人だらけで止まって泣ける場所もない。
こんな顔では家へも帰れない。
どうしよう。どこへ行こう。


そうだ、海。


広い海岸なら人目につかない場所もあろう。

そこでどうしよう。分からない。
とにかく行こう。

ああ、頭を止めたい。
真っ黒な濁流みたいだ。
止めたい。止めたい。私を。



涙に塗れた顔をできるだけ隠しながら、
途中の大型スーパーで酒と睡眠導入剤を買った。










4月5日(水)発売
活動復帰シングル
『叶わぬものの多さを知る』
https://studiopaula.official.ec/items/4881370



4月21日(金)
活動復帰ライブ@横浜 O-SITE



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